このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
いっさいのことを、愛をもって行いなさい。
これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。
キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。
わたしはこう祈る。あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚において、いよいよ増し加わり、
わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。
兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまずくことはない。
しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。
しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。
あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。
すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。
彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。
子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからである。父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の言があなたがたに宿り、そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。
この望みは、わたしたちにとって、いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり、かつ「幕の内」にはいり行かせるものである。
というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。
わたしたちは、あなたがたがひとり残らず、最後まで望みを持ちつづけるためにも、同じ熱意を示し、
そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。
もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。
偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。
どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。
この愛は、あなたがたのために天にたくわえられている望みに基くものであり、その望みについては、あなたがたはすでに、あなたがたのところまで伝えられた福音の真理の言葉によって聞いている。
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。 何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。 神を待ち望め。 わたしはなおわが助け、 わが神なる主をほめたたえるであろう。
ヤコブの神をおのが助けとし、 その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。
あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。